事件です。
さて、この度の入院で子宮筋腫仲間達と流血事件で盛り上がった件を書きます。
血が怖い殿方は回れ右でお願いします🙏
女性は大丈夫ですよね。皆様毎月流してる血の話ですもの。
皆様ご存知の通り子宮筋腫は良性の腫瘍です。
4人に1人が持っているとも言われる、ポピュラーな疾患。自覚症状もある程度までは無症状。
かく云う私もそうでした。
お医者さんに、筋腫大きいのあるよーと言われても
あ、そうすかー。へえ〜分からんもんやな。みたいな位。
だがしかし出産後、生理が来るたび大出血。
死なないのが不思議な位の血の量。
40cmの夜用ナプキンと長時間用タンポンの合わせ技でも、1時間持たない位、水道の様な出血で流れ出てくるタンポン、一瞬で吸収力を無くして真っ赤に重くなるナプキン。
心臓は血液を作る為に常に脈拍90超え。
ヘモグロビンを大量に失う為、常に重度の貧血でした。
そんな時、次々と事件が起きる
夫の実家で大惨事。
公園のトイレが殺人現場みたいになる。
会社の車に血溜まりを作る。
数えあげてもキリが無い。
とめどなく、出血。貧血なのに、ホンマかと思う程の勿体ない出血。
子宮筋腫持ちの方々も色々過多月経エピソードがあり、ある人は友人宅を血に染め、(大袈裟では無い)
ある人は新幹線のトイレを大阪から名古屋まで占領した等、談話室は妙な盛り上がりを見せました。
重度や軽度に関わらず、貧血による意識低下、記憶力低下による仕事のミス、理解のミス、生活の質の低下に悩まされて手術を決心した方が多かった。
無症状でも、組織変性等が心配で全摘する方もいらっしゃいました。凄い勇気💪
明るく振る舞いながら、もしかすると無念な方もいらっしゃったかも知れません。
しかし、これからの人生の質を上げるべく、元気になる為にする手術だと皆思っていました。
もし、全摘に際して悩んでいる人が居るなら、参考にして下さいませ😌
さて、次は切迫早産
切迫流産を免れて2週間で退院。
妊娠22週目までが切迫流産となり、22週目以降が切迫早産となります。
さて、その後の切迫早産。
「筋腫の上に胎盤が来ると、赤ちゃんに栄養が行かないし、胎盤の位置も悪いなあ。今のところ前置胎盤です。
ある日大出血するかも知れません。」
と綺麗な女医さんに説明を受ける。
何かしなければいけない事は有りますか?
安静にして下さい。
安静か。こう言うのって努力のしようが無い。
お腹の中での赤ちゃんの発達を調べ、26週超えたら、障がいは残るかも知れないけど、助かるかも。
32週超えたら未熟児では有るけど、何とかなるかもと、祈りつつ赤ちゃんの心音を聞く為に検診に通う。
その間、逆子になったり戻ったり、心音が弱くなったり又逆子になったりとグルングルン動きまわる我が子。
でもお腹が動くと大丈夫、生きてる。と安心する。
前置胎盤は頑固に動かなかった。
ある日大した量では無いものの、又出血。
切迫早産の状態なので管理入院して下さい、とお医者さんに言われ、またまた入院。
先生、膣から産めませんかね?
胎盤が産道にフタしてるので、赤ちゃんが出てこれません。母子共に危険過ぎます。死にますよ。
帝王切開しか、無理ですね。
大出血したら、子宮丸ごと出します。
それより大出血に備えて貯血しましょう。
と綺麗な女医さん。
貧血で血が無いのに、自己血貯血。
拳をニギニギしてポンプしても、なかなか採取出来ない血🩸
全ての事はとにかく流れに任せるしか無い。
やれる事だけはやって、時が至るのを待つ。
リスクだらけの中、綺麗な女医さんの的確な判断のおかげで無事出産となりました。
ただ、丸ごと出す予定だった子宮を残してお腹を閉じたので、ここから貧血とハードな生理とこれ又ハードな育児との戦いが始まります😅
子宮筋腫持ちで妊娠までの事を少し
不妊治療に携わってる友人が、余りにも覚え書きで薄口のこのブログを紹介すると言うので、子宮筋腫を持ちながらの妊娠中の事を少し。
子宮筋腫が巨大だった為、妊娠しないかも…とお医者さんに言われながらも、有難い事に妊娠。
妊娠しても、その子宮では育たないかも…と又お医者さんに言われ、大きな病院にも関わらず、ウチでは無理ですと言われ、有名な母子センターに転院。
転院後も、産むまで辿り付けないかもね、と言われドキドキでした。
妊娠6ヵ月の時、結構なお腹の痛みが1週間続く。
筋腫の組織変性ですね。石灰化かガラス化してるかも。
と怖い事を言われ、赤ちゃんが刺されませんようにと祈る。
が、直後に出血。
切迫流産で緊急入院。
ここまで悪阻を乗り越え、腹痛を乗り越え、大事に育てて、産めないかも知れないなんてと病院のベッドで点滴されながら横になってた。
しかし病室で知り合った人が、子供が降りて来ない様に、膣を縫われた上に吊るされるがの如くだったり、
胎児が3つ子なんだけど1人の鼓動が止まり、1人だけ出す為に手術しなければいけなかったりで、
病室の皆が子供を産む為に腹括って戦ってる大変な人ばかりだった。
感傷などは、この時捨てた。
その後、又切迫早産で入院するのですが、それは又別の機会に😌
手術から1ヵ月
退院してから初めての病院です。
病理組織検査結果を聞きに。
思えば手術後1週間の劇的な回復以降は
本当に少しずつ回復してきている感じです。
仕事は退院後2週間で復帰。
長距離運転や座りっぱなしでは
少しだけ下腹がつる感じ。少しだけ😌
最初の頃は腹圧かからない様に気をつけてましたが、
痛みや心配がうすれると共に、普段通り。
それでも走ったり、腹筋したりは危険を感じてしませんでしたよ。
そして本日、術後1ヵ月!
お風呂オッケーになりました〜❗️
ああ、辛かった真冬のシャワー生活😂
更に運動もオッケーになりましたので、
帰ったら娘と祝福の創作ダンス部を結成します😆😆😆
手術当日。その2
気が付いた時は病室のベッド上で意識朦朧。
4時間も経ったとは思えない深い寝落ち。麻酔って怖いですね。
もしかしたら開腹。と言われてたのですが、無事腹腔鏡で摘出して頂けました。
だからか、何か思った程痛くなくて。
帝王切開の時は、お腹を車に轢かれた位のダメージだった記憶があるのですが、今回は超酷い筋肉痛とでも言いましょうか。
まあ、少し動くと激痛なので安静時での話ですが。
そう言えば、産まれたときから苦楽を共にしてきたあの子宮。
母親に写真を撮っておいてと頼んでいたので見せて貰うと肉屋さんで買った爆弾ハラミ?みたいな感じでした。
子宮よ今まで有難う。手を合わせて拝みました。
喪失感を感じるのかな?と思っていたのですが、
待機期間と準備期間の長さからか、只々爽やかな達成感に包まれております。
さて、手術翌日
朝、ウガイをさせて貰って生き返る
昼、看護師さんと点滴の棒に助けられてヨチヨチ歩く
夜、五分粥解禁
手術翌日夜には1階にあるコンビニまで歩けるくらいに復活。
手術当日。その1
手術当日、
朝から麻酔科の看護師さんがアロマオイルを持って病室に来てくれる。
最近は好きな香りの中、持って来たCDを掛けて手術してくれる病院が多いみたい。
アロマは私的には機嫌が良くなるフランキンセンスを選び、音楽はお任せにした。
音楽には意味があり過ぎて、ちょっと選べませんでした。
ロックもソウルもブルースもジャズもクラシックも、ハワイアンもフラメンコも…てもうええ。
手術の気分に合う曲て何か有りますか皆様。
きっと病院は環境音楽的な害のない奴かけてくれるだろうと思いつつ。
手術着に着替えて手術室へ。
あ、フランキンセンスの香りが。
やっぱりコレにして正解や。緊張が少し落ち着く。
しかし病院の選曲が
石川ひとみの「まちぶせ」でした。
「好きだあーったのよ♪あーなたー♪」
な、懐かしいですね。
とか言いながら心電図やらなんやらつけて貰ってるうちに、曲は高橋真梨子の「for you…」になり、
我がままばかりでーごめんなさいねー♪位の所で
ドラマティックな展開を迎えず麻酔落ちしました。
子宮に感謝しながらお別れ出来ました。
つづく
リュープリン 4回目、5回目
今思えば、4回目くらいから副作用が楽になった気がします
単に、更年期障害と言うモノに慣れたのかもしれませんが…😅
只、4回目からは吐き気や頭痛よりも関節痛に悩まされましたね。
毎朝足首が痛くて歩き難い感じ、まあそれもすぐに治るのですが。
しかし、重度の貧血6.8から軽度の貧血10.4になっていたので、身体はいつもより元気な位。
年末年始のイベントも、身体軽くご機嫌にこなせました。
手術2週間前に娘がまさかのインフル😱
移ったら全身麻酔出来ないので、必死で対策。
密着する度に手洗いウガイで何とか凌ぎました‼︎
しかし、リュープリン 5回目が終わった時、体重5キロ増😨
やはり更年期はオバさん体型になるようになってるんですね。
早く蘇れ女性ホルモン!
そして今、病室のベッドでコレ書いてます。
明日は手術。
身体が治ったら絶対ダイエットするぞう😤😤😤